芸達者、秋田人。

Raw fashion creator

Kazuto Funaki

ここなら
飢え死はしない、
という土地で

秋田県 男鹿市

秋田の港町で「Own GArment products(オウンガーメントプロダクツ)」というアパレルブランドを営むご夫婦がいると聞き、早速連絡をとって車を走らせた。向かうは、ブランド名にもその名が刻まれる男鹿半島。その日は低気圧の余波のためか日本海も荒れ模様で、半島の付け根あたりに位置する海沿いの車線には薄っすらと波しぶきがかかる。

次の予定までに終わるなら、と快く応じてくれたのは、代表である船木一人さん。男鹿生まれ。事前に彼のFacebookを眺めてみると、歯に衣着せぬ政治的な発言が散見される。イージス・アショア、原発、種苗法、風力発電機の乱立……。ぼんやりと、先日お会いした沓澤さんとは違う種類の意志の強さを想像する。実際に会ってみると、冗談を交じえながらとても良くしゃべる気さくなあんちゃん、という第一印象だった。彼が地元に戻ってきたのは2012年のことだった。

帰郷したのは震災がきっかけですね。でも、それ以前から、「いつか地元に戻るんだろうな」と思ってたところはあります。東京は、モノが揃っているけど、自分が欲しいもんはないなって。

東日本大震災の当日、船木さんは仕事で山梨に出張していた。お腹に子どものいる奥さんは東京の勤務先におり、連絡がつかない。「あれ、もしかして、自分が本当に大事にしたい人と会えないまま死ぬのもあり得るな……」。今までになかった不安が船木さんの頭をよぎる。

元々、”夢を持って生きる”ということをテーマに東京に出てきたんですけど、震災がきっかけで、”生命を維持する”という方向の「生きる」にシフトしたんですよ。

待望の我が子が生まれた年に、福島第一原発の情報に不安を感じながらの東京暮らし。一年ほど経ったところで、奥さんからの提案があり、男鹿へ帰郷するに至る。「とりあえず生きられる」という安心感のある、肌に馴染んだ土地。「東京にいた頃と同じことをやってもしょうがない」と、地元企業に2年間勤めながらアパレルの起業準備を始めた。専門学校でパターンを学んだ奥さん、勤め先で出会ったという「縫製のおばちゃん」と3人のスタート。小さな我が子を背負いながらサンプルをつくり、営業に回り始める。そうして開業から10カ月ほどで2人目の縫子さんを雇ったというのだから、順調な滑り出しと言って差し支えないだろう。そこには秘訣めいたものがあるのだろうか。

東京でものづくりをすると、どうしても価格が高くなっちゃう。それなら、秋田でもっと良いクオリティのものを手に入れやすい価格でつくり、その背景をちゃんと説明する。そうすればお客さんは分かってくれるんじゃないかなって。それに、お客さんのおかげというのもあります。震災を機に「生きる」ことにテーマを置いてから、子どもたちの未来のことを考え始めた。なるべく化学染料を使わず環境負荷の低いものを使っているからか、「来年、もっといいもの待ってるよ」って応援の気持ちで買ってもらえている。それに応えようと飽くなき探究に励むことができているのかな。

ひょうひょうとしながらも、言葉も行動も至極真っ当だ。感性を素直に発揮することで、健全な循環が生まれている。今年で創業から4年目。「独立してみたら、やっぱり、楽しいですよね。子どもの成長を横で見ながら仕事ができるし」と笑う顔には、充実感が滲んでいる。自らの手で切り拓いた生業と生活を営む人だけに宿る表情なのだろうか。その目線は、寂れ行く男鹿のまち、そして自分たちの子ども、そしてさらにその子どもが生きる未来にも向けられている。

独立してから、地元の中学生向けに講演をする機会があったんですけど、「男鹿が好きな人―!」って聞いたら、全員がばーっと手を挙げた。ところが、「じゃあ男鹿にずっと住みたい人―!」と投げかけたら、しーんとなってしまって。「だって、つまんないじゃん」「なんもないじゃん」と口にする中学生を見て、「あー、これは、大人がそう刷り込んじゃったんだ」とショックを受けた。僕ら大人が若い世代に見せていかなきゃいけないんだ、「死ぬほど楽しいぞ」って。

大人が全力で楽しむ姿を示すための具体的な取り組みの一つに、船木さんが代表を務める「ひのめ市」というイベントがある。同じ未来を目指す仲間と共に、オーガニックを主題に据えて出展者を募り、少しずつ地元の人を巻き込みながら、今年でもう4年目。そこから発展して、男鹿で有機農業の普及を目指す協議会にも立ち上げから関わっている。「最近、何をやっているのかよくわからなくなってきた」という言葉に、ふと、沓澤さんも似たような話をしていたことを思い出す。

ひのめ市のチラシ

肩書きや職業は自分の一側面を社会が理解できるように表現する枠組みに過ぎない。「ローカルアパレルブランドの経営者」という切り口からではなく、船木さん自身に、生業だけでなく生活やそれを下支えする思想や美意識に関心を向けることでようやく見えてくる一貫性というものがある。生活と生業を不自然に区別せず、自らがやりたいように、在りたいように周囲や環境、そして自分自身と関係していくという態度。それが「芸達者」の存在条件のベースにやはりありそうだ。

インタビューの最後に、自宅兼作業場と、店舗に改装中の車庫を見せていただいた。店舗の運営方針を茶目っ気たっぷりに語る姿。例の「縫製のおばちゃん」との冗談を交えた会話。本当に、楽しそうだ。コップからあふれてくるような喜びと言ったらいいだろうか。東京で会社勤めをしていた頃、自分の業務が取引先の利益にならないことが分かると、それを包み隠さず先方に伝え、社内で揉めたこともあったという。東京には、彼のエネルギーを受け止めてくれるものがなかったのではないか、と想像する。船木さんにとっては、そのエネルギーを十二分に発揮できる環境が、地元だったのだろう。自らクリエイティブでいられる状況を引き寄せることもまた、「芸達者」にとって必要な作法なのかもしれない。いつの間にかすっかり落ち着いた男鹿の海を眺めながら、新たな宿題に思考を巡らせてみたのだった。

古いミシンを別のプロダクトに蘇らせる計画をしているそう

船木さんの愛車

肩書きは?

オウンガーメントプロダクツ 企画

自分が創造的になれる環境は?

創造的になれる環境、創造しようとするときのスイッチを入れればどこでも。

生業(仕事)と生活(暮らし)の距離は近い?

近いというか、一緒と捉えてます。

やりがい、手応えはどこから?

お客様が自分たちの服に袖を通し高揚しているところを見たとき、また自分たちが作った服が相当こなれてきている様を見たとき。

船木 一人 / Kazuto Funaki。秋田県男鹿市出身。2012年に家族と共に帰郷し、「オウンガーメントプロダクツ」を立ち上げる。「ヨーロッパの古いワークウェアをデザインベースに、流行に左右されない愛着を持って永く使える丈夫で丁寧なモノづくり」をコンセプトに、デザイン・パターン・縫製など全ての行程を自分たちで行なっている。

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