芸達者、秋田人。

Music drunker

Yohei Kaneko

コンバインの
第二幕が
湯沢で始まる。

秋田県 湯沢市

国道13号線と湯沢駅に直結した通りとがぶつかる交差点の角の辺り、一軒の店から、灯りがぼんやりと歩道に漏れている。その店舗の歩道側はガラス張りになっており、中を覗くと、カウンターと幾つかのテーブル席を構えるカフェバーが見えた。客の入りはこれからという時間帯だが、すでにカウンターと奥側のテーブル席でそれぞれ賑やかにやり取りがなされている。内装、外装ともに妙に凝ったところがなく、シンプルだが、かといって無機質でもない。近すぎず、遠すぎず、適度な距離感がある。こういう場所が近所にあるのはいいかもしれない。そんなことを思いながら店に入り、カウンターの奥にいる店主に声をかける。

店主 兼子洋平さん

2017年の3月にオープンしたこの店の名前は「Tra cafe(トラ カフェ)」という。オーナーの兼子洋平さんは、秋田県湯沢市の出身。この店は、彼にとって2度目の開業に当たる。兼子さんが1つ目の店舗を手掛けたのは、29歳のとき。当時、中目黒にあった伝説と呼ばれるカフェ「コンバイン」がそれだ。「昼間からがんがんテクノをかけていた」というその店には、フリーランスや外国人、音楽関係者らがこぞって通っていたという。開業当時をこう振り返る。

「コンバイン」のテナントは、そもそも普通の若い兄ちゃんが入れるようなところじゃなかったんですよ。開業の3カ月前に、総額で2,000万円かかると言われて。その日から、一緒に開業しようと動いていた友達と2人であちこちまわったり、卒業アルバムをめくって電話かけまくったりとかしました。東京で知り合った目上の方にお願いしにいったときは、相当厳しいこと言われたけど、結局100万円貸してくれたんですよ。泣きながら目黒川沿いを2人で帰りましたね。とにかくいろんな方法でお金を工面して、3カ月で何とか2,000万円集めました。

湯沢駅前に温かな光が漏れる

「計画が立てられない性格」という兼子さん。高校卒業と同時に上京。進路を決めるぎりぎりのタイミングで、「東京に行きたくて」えいやで決めた曙橋のガソリンスタンドをちょうど丸1年で辞め、日雇いバイトや飲食店、ギャラリー兼サロンなどを渡り歩く。と同時に、東京のクラブカルチャーにも没入。無秩序にキャリアを歩みながら、一つひとつの経験や出会いが伝説的な店の布石になっているのも興味深い。

半年間の自転車操業を経て「コンバイン」の経営が順調になり始めた頃、大事な人の不幸が立て続けにあり、深く落ち込んでいた時期があった。同僚の勧めもあって休暇を取ることになり、関心のあったロンドン、そしてベルリンを訪れたのが2007年のこと。それをきっかけに、毎年ベルリンに通うようになったという。それも、クラブカルチャーが誘因だった。

「ベルグハイン」というクラブがあるんですけど、あまりに楽しすぎて。「コンバイン」を気に入ってくれたリッチー・ホゥティンというDJとベルリンで会う約束をしていたのに、「ベルグハイン」で遊び過ぎて、ずっと待たせて、ベルリンを発つ最後の最後にようやく会いに行って。彼、笑ってましたよ、「すげえだろ、ベルリンは」って。

「クラブにしか興味がないんですよ」と言う。いったい、ベルリンの何が彼をそこまで惹きつけてしまったのだろうか。

初めて「ベルグハイン」に足を踏み入れたとき、「こんな世界があるのか!」って、あごが外れるかと思った。どこのクラブに行っても、みんなべろんべろんに酔っぱらって、一人掛けのソファーに10人くらいぐちゃぐちゃってなってて。世界中の人種がひとかたまりになっている。都市全体にカルチャーがあるんですよ。上手い下手とか関係なくて。向こうに行って感じたのは、とにかく自由。すべてが自己責任だから。変に干渉しない空気がある。

その後、「コンバイン」の方向性のずれ、そしてリッチー・ホゥティンからの誘いをきっかけとして、2009年2月、彼は次の地として当然のようにベルリンを目指した。彼が手掛けようとする日本食レストランに合流するために。しかし、それはあと一歩のところで実現しなかった。仮ビザが切れる前に仕事を見つけようと飲食店を巡るものの、門前払いを食らう。仕方なくフリーマーケットで寸胴とコンロを仕入れて日本人のグループに入り込み、「屋台をやらせてくれ」と頭を下げて、何とか食い扶持をつなぐ。クルド人のグループに世話になったときもあった。しかし、ベルリンに14年間住む友人をして「未だにお前みたいなやつは見たことがない」と言わしめる事情により、日本に戻らざるを得なくなる。

とにかく豪快だし、本能と野性で生きているのがよく分かる。辻褄が合う方に向かうのではなく、向かった先で辻褄を合わせていくような人生。そんな彼も、家族の事情を優先して東京ではなく湯沢に戻ったが、果たして、地元での暮らしは、退屈を拭えなかった。「自分が一生住む場所だから、このまま何も変わらないなら、何かしなきゃ」と、夜に行くところもなかったという湯沢に、自ら場をつくることを決める。それが「Tra cafe」だ。もちろん、明確な算段があったわけではない。「ここができたら結果どうなるんだろう? どういう扉が開けるんだろう?」という好奇心が先行している。

「Tra」っていうのは、現状に合わせるんじゃなくて、現状の向こう側に行きたいなあって思ってつけたんですよ。“transit”とか、“transfer”とか、“transport”とか、そういうイメージ。ガキの頃、友達の家にみんなでたむろしたような、そういう場所であればいいかなって。

話が進むうちに、いつの間にか、カウンターに腰掛ける人の姿に変化があった。1人で入店し、コーヒーを頼む若い男性。彼より年上に見える女性の先客が、スタッフとの会話の中に彼を巻き込んでいく。そういう光景が、この湯沢に生まれている。

その一方で、話の途中、ふと、「ちょっと、今、どん詰まりなんですよね」と漏らしていたのが、最後まで引っかかっていた。しかし、その閉塞感の正体は結局掴めないまま、時計の針は約束の時刻を示す。「また遊びに来て」と握手を交わしてくれた兼子さんに見送られながら店を去り、相変わらず空いている国道13号線を北上しつつ、彼が湯沢の現状について語っていた言葉を反芻する。

地域を良くしようとか、そういうの俺は合わないんですよ。思うことはあっても、「ここは閉鎖的なところもあるから、もっとトーンを落とせ」とか言われるし。でも、カルチャーってそういうものじゃないんですよね。

ベルリンで体感してきた、自由と自己責任の空気について、彼は何度か言及していた。かの地への単なる羨望ではなく、もっと切実な眼差しをそこに向けていたように思う。地方都市の駅前に宿る一点の光明。点が線になり面になってはじめて、“現状の向こう側”が見えてくるのかもしれない。彼がこれから開いていく扉のその先にあるものについて、もう一度、兼子さんと話をしてみよう、そう思った。

肩書きは?

Tra Cafe オーナー/調理師/米穀商/農家

自分が創造的になれる環境は?

特に場所ではないが何かに刺激を受けた時や、ふと降りてくるものがある日

生業(仕事)と生活(暮らし)の距離は近い?

距離はなし

やりがい、手応えはどこから?

やりがいをまだ感じた事が無く。充実感を味わいたくて奮闘中

兼子 洋平 / Yohei Kaneko。秋田県湯沢市出身。高校卒業と同時に上京、東京で様々な仕事とクラブカルチャーを経験し、29歳のときに友人と中目黒で「コンバイン」を開業。その後、2009年にベルリンに渡るも、念願叶わず地元に戻る。現在は、2016年に湯沢駅前にオープンした「Tra cafe」のオーナーでありながら、実家の小売店を手伝い、農業にも着手している。

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