芸達者、秋田人。

Life creator

Yukiho Sato

体を動かして、
手を動かして、
形にしていく。

秋田県 五城目町

生活と生業が近接する営みだからこそ磨き上げられる「芸」の数々。それらが織りなすクリエイティビティとは何だろう? この問いを掲げながら、秋田県内の各地でその実践者たちと出会ってきた。振り返ってみると、その重心の置き方やアプローチにはいくつかの様相がありながら、共通する部分も見えてきたのだった。

インタビューを重ねていく内に輪郭が露わになってきた「芸達者」の特徴の一つに、お金との向き合い方がある。近江さんがそうであったように、彼・彼女らは非常に現実的に物事を考えている。お金は必要だが、お金に縛られて自らの生活や生業が侵食されることは許容しない。自らの理想を維持・発展するためのお金を、自らの美意識に反しない範囲で循環させている。そのために具体的に手を動かしている。

秋田県五城目町で、ご両親と3人で陶器を手掛ける工房・三温窯を営む佐藤幸穂さんとの対話は、生活と生業を自分の目の届く範囲に保持する作法について考えさせられる機会となった。

時間の使い方、お金の使い方って、生活とか仕事でがらっと変わるものだから。昔はこの辺りもみんな農家で、仕事も家回りのことも全部自分たちでやっていたと思うんですよね。今は勤めに出る人が増えて定期的な収入がある分、本職の人に直してもらうのが当たり前だけど、うちは、自分たちで建てた家を自分たちで手入れしている。自営業だからできるんでしょうけど。

三温窯・佐藤幸穂さん

住宅地から少し離れて、隣町との境のあたり。比較的新しいと思われる道路沿いの鬱蒼とした茂みの合間。そこに、佐藤さん曰く「お金がないからしょうがなく」自分たちで出来る範囲はすべて手掛けたという自宅があり、工房と登窯があり、ギャラリーがある。35年ほど前に両親が開窯して以来の生業。佐藤さんと話し始めてすぐに見えてきたのは、少なくとも三温窯においての「陶芸」とは、「陶器」を制作する「芸」以上の何かだということだった。

毎年、ゴールデンウィークの期間中に「工房展」という小さな展示会を開催しています。それに間に合うように、4月初めまでに登窯を焚く。そうすると、冬の間には、在庫を補ったり、新作を用意したりしておかないといけない。「工房展」が終わったら、今度は梅雨に入る前に薪の用意が必要になります。うちは登窯にも自宅、工房の暖房にも薪を使いますし、その灰は釉薬にも用いるので。梅雨明け、天気が続くうちに粘土と釉を準備しながら、合間に作品をつくる。秋にはクラフト市への出展と、毎年決まって頂く注文への対応。そうやっているうちに10月になり、「寒いね」と薪ストーブを焚き始める。そうして、いつの間にか1年間が終わってしまいます。

まるで百姓のようだ、と思った。お金ではなく自然の論理が営みのベースにある。生活と生業が四季の移り変わりと密接にかかわる中で、境界が曖昧になっている。

うちの窓は木枠なので手入れはしにくいし、ガラスは厚みが2mmくらいで冬場は寒いんですが、すごく外との距離も近いし、それがやっぱり好きなんですよね。高気密のペアガラスとか羨ましいなあと思うんですけど、アルミのサッシにしてしまうと家の中でその部分だけ浮いてしまう。

三温窯の作品は食器や花器といった普段使いのもの。制作する食器は、一つ一つ、使われるシーンを具体的に提案していく。展示のテーブルや棚も自分たちでつくっているから、「この釉の色は、サクラの木の食卓に合うんじゃないか」といったイメージの解像度が上がっているのだろう。

こういう暮らしに憧れるという話を聞いたりするけど、うちは好きでこの暮らしをしている訳じゃなくて、気づいたらこうなっていた。結構大変ですよとは言うんですけど。

台所をリフォームしたときも、家族3人で窓の位置からシンクの高さまで意見が割れたという。「わがままなんですよね、生活に対して」と言うが、必要に迫られて身に付けた芸の数々が、わがままを通すことを可能にしているようにも見える。

自分の中で、「やったことのないことをやってみる」というハードルが極端に低くなっているのだと思います。これをやって上手くいったんだから、あれも上手くできるんじゃないか、と次々やっているうちに、きっと何でもできるんだろうと思っている部分はある。自分の家なので、全部自分に返ってくることだし、全部自分で把握していることだから、何とかやれていることなんですけどね。

話の途中、お母さんが手作りの笹餅を出してくれた。近所で幾らでも生えているという笹の葉にくるまれた餅を口にすると、程よい甘さに体が喜ぶのを感じた。「丁寧な暮らし」という言葉で安易にまとめるのは気が引けるが、こうした営みに憧れを抱く気持ちも十分に理解できる。経済的な不安からではなく自分の美学に基づいて生活と生業をつくっていくために、求められる態度というものはあるのだろうか。「想いがあれば良い、という考え方もあるかもしれないけど、自分は違うと思う」と、少し語気を強めて、こう話してくれた。

想いがあっても、体を動かして、手を動かして、形にしていかないと、ものはできてこないですよね。陶器の制作も、家の手入れも、現実として、本人が動かないと何も起こらない。「こんな生活がしたい」と移り住んできたとしても、思っていたことと現実のギャップが絶対どこかにあるから、「だめだったらしょうがないね」と受け入れるところは受け入れつつ、まずは手を動かさないと。鷹揚に構えて、芯はぶらさずに、かつ柔軟でいられるといいのかなと思います。

作品を制作している佐藤さんの工房

生業と生活を通して手を動かす量だけ見れば、人はそれを「努力」と呼ぶのかもしれない。しかし、本人は「大変ですよ」と言いながら、苦行のように捉えている様子がない。「自分の家を知る面白さってのが、いいですよね」という言葉からは、営みの中で生まれるプロセスそのものから手応えと充実感を受け取っている印象を受ける。そのあたりに、彼自身のぶれない芯があるのかもしれない。

肩書きは?

ありません。

自分が創造的になれる環境は?

四季にそった生活。

生業(仕事)と生活(暮らし)の距離は近い?

近いです。作るものが生活品ということが大きいと思います。

やりがい、手応えはどこから?

陶器を通じてつくり手の想いが使い手に届き、通じ合えたと感じられる瞬間。

佐藤 幸穂 / Yukiho Sato。秋田県五城目町出身。元々、ものづくりが好きでそれしかできないだろうという思いが漠然とあり、秋田公立美術工芸短期大学(現秋田公立美術大学)を経て一度秋田を離れた後、実家である三温窯に戻り、仕事と暮らしが一体になった環境で家族と共に陶器の制作を始める。父親のぽってりとした独特のカーブを出せるようになることが目標の一つ。

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