芸達者、秋田人。

Edge craft man

Norikazu Minato

家具屋だから
つくれる、
木工のまち

秋田県 能代市

「肩書きは、家具屋、かな? 作家ではないですね。木工職人でもないし」。そう語る湊さんのお話を伺った後、彼は能代の案内人でもあるのだな、と思った。「木都」と呼ばれる秋田県能代市の街中にある工房は、木材と工具で溢れていた。無垢の木材で家具をつくりながら、アートプロジェクトにも参加し、DIYキットの制作やワークショップも手掛ける、多芸な人だ。そんな彼だからこそ、「つくり手の目線からはものすごく魅力的な材が山のようにある」能代というまちから見出すストーリーがあるのだと思う。

能代って、木工をやる人にとっては絶対良いまちなんですよ。でも、それをみんな知らないし、PRもまだまだできていないんですよね。業界を挙げて、行政も巻き込んで、木工に最適なまちであることを呼びかけていけば、間違いなく関心のある人は能代に来ると思うんです。

「地元である能代が木材のまちということを、実は能代を出てから知った」という。家業を継いだわけでもない。東京での大学生活の最中、当時「裏原」を中心に広がり始めたデザイナーによる店舗づくりに憧れ、自室でベニヤ板を切って遊んでいたという。そうして、インテリアデザインを学ぶべく専門学校へ進学。しかし、徐々に自分の手を動かす楽しみに目覚めはじめ、関心は「自分一人でものづくりの行程を完結できる」方向に。いつしか、木材を用いた家具づくりに傾倒している自分に気づく。

職人を志すようになってから、木工の現場をあちこち訪ねたこともあった。しかし、ゆく先々で「儲からないから辞めた方が良い」と諭され、一度は断念。それでも想いを捨て切ることができず、インテリアデザイン事務所を経て、横浜で独立するに至る。2010年、秋田県大館市のゼロダテアートプロジェクトへの参加をきっかけに秋田と首都圏を行き来する期間が続き、能代に戻ってきたのは1年半ほど前のこと。

「100年育ってきた木を使って、100年以上ちゃんと大事にしてもらえる家具をつくりたい」というこだわりを語る湊さん。その背景には、事務所勤務時代に店舗デザインの仕事を通じて感じた虚しさがある。店が流行らなければ半年で閉店することもある商売の世界。それでも、「あんなにみんなで頑張ってつくった」ものたちが壊されていくのが腑に落ちなかった。出来上がった製品だけでなく、そこに投下された仕事の質と量にまで思いを巡らせる人なのだろう。木工のまちで受け継がれてきた技術や文化にも、リスペクトを以て向き合っている。

能代の製材屋さんは銘木屋さんが多いんですよ。丸太一本をどう料理するかという世界なんです。彼らは、材木としての価値をちゃんと見ようとする。例えば、何も考えずにすぱすぱと製材したら1枚100円にしかならないのが、銘木屋の手に掛かることで1枚1万円になり得る。丸太に皮が着いた状態から木目を読むんですよ。でも、その技術がある人もほとんどいなくなっているのが現状です。

自分の興味の赴くままに機会をつくり、人とつながり、自分の経験や技術を多様な形で生かしてきた。彼の生業は、単に家具をつくるという表現では手に余りそうだ。そんな湊さんが物語る能代の姿は、彼自身の好奇心が乗り移ったかのように、聴くものの想像力を駆り立てる力がある。

能代の人ってすごくて、うちの工房に材木を持ち込んで来るんですよ。能代に来るまでは材木を持ち込まれることなんてほとんどなかったんですけど。能代には銘青会(秋田県銘木青年会)という集まりがあるんですが、彼らが年に1回「木都のしろ木の市」という、一般の方にも銘木を販売するイベントを能代で開催しているんです。その日は銘木がものすごい売れるんですよ。でも、あるとき1度だけ秋田市でやったら、全くというほど売れなかった。材を買って自分たちでつくったり、誰かつくれる人にお願いしたりするのが、能代の人たちにとっては日常なんですよね。

文化として木のある暮らしが根付いている。価値のある材を見極め、生み出せる技術もある。それなのに、発信がされていない。湊さんが制作物の一つを見せてくれた。「能代は天井板のシェアがほぼ日本一なんですけど、天井板に使う材を壁に飾ったらかっこいいなと思ってつくったんです。見てください、この木目。こんな材がごろごろある。しかも、『え、こんなに安いの』という値段で」。能代という土地のポテンシャルが、湊さんの軽快な語り口によって次々と露わになっていくようだ。

銘青会には、同世代で頑張っている製材屋さんが所属している。だから、彼らはもちろんのこと、能代のみんなの力でなにか一つのものをつくりたいなとずっと思っていて。今後やりたいこととして、能代の材木をいいとこ取りしたタイニーハウスをつくりたいと思っています。もちろん、雪国仕様のちゃんとしたものを。

能代の天井板に用いる材の木目

能代を、「木都」として、「木工のまち」として内外に位置付ける。土地にある人や資源が惜しみなく編み込まれているこのストーリーは、それだけでも魅力的だ。そのプロセスに欠かすことのできないピースとして、湊さん自身の「芸」がはまっていることで、語られるビジョンの輪郭がぐっとシャープになる。

純粋な好奇心からものづくりの世界に足を踏み入れた青年は、次第に地元・能代の未来と自分の未来を重ねていく。「能代に自分の居場所をつくりたい」という想いが、彼の人生にゆるやかな変遷をもたらすことになったという。

秋田を行き来するようになった頃は、まだ、能代に帰っても居場所がないなって思っていたんですよ。その居場所をつくりたいから、能代で何かしたいという想いが芽生えて。今はその延長線上ですね。ようやくちょっとずつ居場所をつくれるようになったかな。でも、良く言われるんですが、能代を「背負っている」という感じではないですね。

Uターンして1年半。能代の人、能代の資源、「日々発見」ばかりだという。工房から徒歩10分ほどの本屋だった物件を借り、みんなで案を出し合いながら場づくりがしたい、という話も聞いた。好奇心を熱源として、地域をくまなく歩き、出会う人を惹きつけていく湊さんの姿を想像する。手つかずの資源が溢れているほどに創造性を発揮できるという実例が、この木工のまちにも存在した。不確実なこの世界で、より良く生きること、自らの人生を全うすることの手がかりを教わった気がした。

家具作りへの情熱は道具選びにも伝播した

肩書きは?

家具屋。

自分が創造的になれる環境は?

製材屋さんで木を見る事。Uターンしてから、より意識的に情報を得ようと思うようになりました。

生業(仕事)と生活(暮らし)の距離は近い?

とっても近い。能代に帰って来てからはなおさら感じます。

やりがい、手応えはどこから?

お客さんの反応、共感。

湊 哲一 / Norikazu Minato。秋田県能代市生まれ。2005年に注文家具屋「ミナトファニチャー」を設立し、注文家具を製作するかたわら、秋田県大館市のゼロダテアートプロジェクト、DIT(Doing It Together)を掲げるKUMIKIプロジェクト、曲げわっぱの技術を起点としたWAPPA PROJECT、企業のCSR活動の一環としてのワークショップなど、多種多様な側面を持つ。

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