芸達者、秋田人。

Air Magician

Yoshiteru, Aki Ito

後味の良い暮らし。
それが私たちの
生きる道。

秋田県 大仙市

秋田県南部には、古くからの米どころである広大な横手盆地がある。その北側は仙北平野とも呼ばれ、無数の田畑の合間を縫うように住宅が点在する、昔ながらの農村の風景が変わらずに残っている。その仙北平野に位置する大仙市豊川を訪れたのは、雲もまばらな真夏日のこと。青々と育つ田んぼを横目に車を走らせると、目的地である「星耕硝子」の看板が目に入ってきた。近くの空き地に停めて車外に出てみると、じりじりと肌を焼く太陽の勢いに、草木を掠めて吹き抜ける風がありがたい。工房の前で、伊藤嘉輝さん・亜紀さん夫妻が迎えてくれた。

「日本民藝館展」をはじめ、民藝の世界で一定の評価を得るつくり手がいると知って連絡を取り、その工房を見せていただくことに。県外にも愛用者がいる「星耕硝子」の特徴や二人の来歴は、検索エンジンに頼るだけでもある程度は把握できた。だからこそ、この訪問は、伊藤さん夫妻のこれまでの積み重ねがあっての「いまここ」に焦点を当てるべきだとなんとなく感じていた。まずは、今もガラスと関わり続けることとなったきっかけについて、お話を伺う。

亜紀:私は地元の農業高校出身なんですけど、当時、生物工学を扱う部活に入っていたんですね。それで、試験管とか冷却器とかに触れるうちに、ガラスって面白いなって思うようになったんです。ある日、「ガラスを溶かしてみよう」と思い立って、自宅のガスレンジにガラス瓶をかざしたら、「バーン!」って割れて、その破片をさらに炙ってみたら、角がまあるくなっていったんですよ。「ほんとに溶けるんだ、なにこれ面白い」って、それからガラス、ガラスと頭の中がそればっかりになってしまって。

結局、「どんな手を使ってでもガラスをやりたい」と、高校卒業後から一貫してガラスに関わり続ける道を模索し続け、今がある。一方の嘉輝さんは、対照的だ。「元々、興味なんかなかったですからね、ガラスに」と話す。

嘉輝:僕は25歳まで東京で仕事をしていたんですが、その頃、実家のある岩手に帰ろうと思うようになったんです。それで、何か仕事がないかなと調べてみたら、地元の花巻に吹きガラスの体験工房ができると知って、じゃあガラスを勉強すればそこに勤めることができるなと。

「着地点はガラス」が常に念頭にありながら、その手段には執着のない亜紀さん。「辞めるという選択肢がなかったというか、必ず次の選択肢が用意されていたんですよ、ガラスを続けられるように」と振り返る嘉輝さん。現在は、嘉輝さんが制作を、亜紀さんが取引先とのやり取りや受発注管理などをそれぞれ担う。子育てや絵本の読み聞かせのボランティアにも熱心という亜紀さんに、直接ガラスづくりに携わらないという現状について尋ねてみた。「葛藤はなかったんですよ」と即答する。

亜紀:子育て、楽しいんです。今しかできないことですし。やっぱり、子どもの成長の基盤となる時期に親が近くにいた方がいいかなって。食べ物でも、人間関係でも、後味がどうかっていうところですね。子どもがいながら色んなところに出かけてしまっていたら、どこかで後ろめたさを感じてしまうんじゃないかな。後味の良い暮らしをしたいですね。

その話しぶりには、強いられてそうせざるを得なくなったというニュアンスがどこにも感じられない。「自分の時間を生きている」感覚がそのベースにある。嘉輝さんの仕事ぶりに対しても、「彼のペースに関わらないように、お任せで」というスタンス。では、工房の中ではどのように新しいものが生まれ出てくるのだろうか。「思いがけずできてしまうことが多いかもしれない」というのがその答えだった。

嘉輝:例えば「ワイングラスをつくるんだ」と意識しても、技術が足りなければもちろんつくれない。ところが、自分がつくれるものを日々つくっていくうちにちょっとずつ上手にはなって、あるときに、ぽこっとワイングラスがつくれるようになるんです。それに気づいたときからは悩まなくなって、「いずれつくれるんだから、まずは今できることをやろう」という気持ちでやっていますね。

伊藤さん夫妻は、待つことのできる人たちなのだ。不必要に焦らないし、不自然に作為を施さない。この仙北平野のように大らかに構えている。これまでの旅で幾度も目の当たりにした、「芯の強さ」と「しなやかさ」が両立する地平がある。どのような姿勢や態度が、その在り方を可能にしているのだろう。いっそ直球で聞いてみたところ、亜紀さんがこう話してくれた。

亜紀:私、子どものころから、念じる力が強いんだと思います。心から強く思うというか。自分が強く望むものがあればそれをぼんやりとしたままにはしない。

「後味の良い暮らし」のために、生活においても、生業においても、自分たちが譲れないものはきちんと明らかにしておく。言われてみれば、当たり前のことだ。自分が強く望むものが鮮明であればあるほど、多芸であること、社会との接点が多面化することは必然となっていく。そうして、生活と生業は切っても切れないものとなる。

嘉輝:河井寛次郎さんという方の「暮しは仕事 仕事は暮し」という考え方に近いかな。どっちが仕事でどっちが暮しっていうわけでもないんですよね。

そんな二人にとって、改めて、ガラスとは、どんな存在なのだろう。

亜紀:私たちの仕事は、平和の象徴だねと二人で話しています。日用のものをつくるには、世の中が平和じゃないとできないですよね。自分たちの仕事をどんどん世に広めて、暮しの中で楽しんでもらうっていうのが、一番いいかなと思います。

「星耕硝子」の未来については、どんな想いを馳せているのだろうか。「子どもたちには別に継いでもらわなくてもいいかな」という言葉が自然と出てくる。

亜紀:自分の子どもじゃなくても、こういう意志を汲み取って続けてくれる人が出てきたら、嬉しいなあって思いますね。実際、私たちも民藝としてのガラスを日本で始めた「倉敷硝子」を一つのお手本にして、生活に根差したガラスというものをつくってきましたし、それが1000年も続けばいいなっていう願いはあります。

嘉輝:「星耕硝子」の屋号と工房の機器を一式譲ってくれた方が、「僕はもうガラスはいいんだよ。ガラスをつくる人をつくったから、もういらないんだ」と言っていたんです。そんなことも思うと、僕らも、子どもに継がせるとかそういう感じではないですね。

亜紀さんが小さい頃の遊び場だった納屋を改造した工房を、伊藤さん夫妻に見送られながら後にした。外は相変わらずすっきりとした晴天で、ふと、二人の実直さに触れて晴れやかな気持ちになっていることに気づく。「お金じゃないものを、なにか、次の世にギフトできたら」という願いを込めて、今日も「星耕硝子」に火は灯る。本当に、その灯火が1000年も続いて、世界の暮らしが彩られていけばいい、と思う。

肩書きは?

嘉輝:吹きガラス作家

亜紀:吹きガラスを配るひと

自分が創造的になれる環境は?

嘉輝:旅先から帰ってきたあとの日常生活の中で、ふとひらめくことが多いです。

亜紀:同じです。

生業(仕事)と生活(暮らし)の距離は近い?

嘉輝:近いと思います。

亜紀:同じです。

やりがい、手応えはどこから?

嘉輝:同じ使い心地を求めて買い足してくれる方が増えていること。ギフトをいただいたのをきっかけにまた使いたいというお声もあり、そんなとき手応えを感じ、嬉しいものです。

亜紀:普段使いでご愛用いただいているというお声を聞いた時です。また、思いがけず遠方の知らない土地の方たちともつながったり。ガラスがとりもつご縁がありがたいです。

伊藤嘉輝,伊藤亜紀 / Yoshiteru Ito, Aki Ito。嘉輝は岩手県出身、亜紀は秋田県出身。1994年能登島で共に吹きガラスを学ぶ。その後岩手県・体験工房「森のくに」で勤務。1997年から佐藤幸吉氏が立ち上げた吹きガラス工房付きレストラン「星耕茶寮」で共に勤務。1999年、星耕茶寮から退職金代わりにいただいた吹きガラスの機材をもとに「星耕硝子」を立ち上げ独立。2003年工房を妻の実家である秋田県に移転。盛岡の光原社で出会った民藝ガラスの草分け、小谷真三氏の吹きガラスに共感し、嘉輝は2008年から日本民藝館展へ公募。2010年日本民藝館展・奨励賞受賞。2015年国画展工藝部門・奨励賞受賞。

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