芸達者、秋田人。

Space editor

Yuko Kutsuzawa

生きられる時間を、
燃やし切る

秋田県 湯沢市

秋田の「芸達者」を巡る旅は、県南から始まった。湯沢市岩崎で内蔵のある古民家を改装した「カフェ&インテリアショップ ももとせ」を営む沓澤優子さん。お話を伺うにあたり、幸運にも、16年前にハーフビルドしたというご自宅をまずご案内いただけることとなった。JR十文字駅から車で数分、住宅街から少しばかり離れたところに、適度に周囲とのゆとりを保ったそのご自宅が佇んでいた。

沓澤さんが好きで集めている酒器

寝室、リビング、キッチン等の機能が一通り揃った2階部分に足を踏み入れたときの印象を一言にまとめるならば、「過不足のない」という表現になるだろうか。余分なものはないが、それでいて殺風景にはならず、細部にこだわりが行き届いた営みが感じられる。華美で優雅なインテリアを見せつけられるよりもずっと、羨ましい、と思えてしまう。自分の欲しいものを自分で把握できていること、そしてそれを具体化できること。沓澤さんの質の高い生活に対する衝撃の余韻を残したまま、「百年」の読みから名付けられた「ももとせ」に場所を移し、このお店の特徴でもある内蔵の一角で、お話を伺った。

秋田においては、住宅をつくる際に誰でも取り込める条件として「景色」があるんですが、実際にはほとんど意識されていないんですね。もったいない。住宅のつくり方にしても、スクラップ&ビルドを止めて、長持ちする材料で人が手をかけられるようにつくり、地元にお金が落ちて職人が育つような仕組みづくりが必要だと思っています。そんな思いから、工務店を中心に、敷地や緑の取り入れ方に配慮した家づくりができる人たちを応援するための住宅雑誌の出版や販促物の制作をしています。

住宅雑誌の出版にも、自宅をハーフビルドした経験が生きている。共同経営者と袂を分かつなどの紆余曲折もありながら、できるだけ地元で循環型の家づくりを手掛ける企業を中心に出稿してもらうという方針を曲げずに出版を続けてきたのだという。

自分がそうすべきだと思った以上は曲げられないし、自分を曲げて目先の利益を追ってもつまらない。この仕事は、住宅の実例が見れるからすごく楽しいんですよ。建物を見るのが好きなので。

傍目から見ればあえて厳しい制約を自らに課しているようにも感じるが、むしろ、そのポリシーがあったからこそ継続ができたと受け取るべきなのだろう。自分が理想とする生活や、目先にとらわれた家づくりの在り方の課題に対する”意識”がまずあり、その”意識”を原動力として、自ら家を手掛け、これからの未来に向けて真に必要と思える仕組みづくりに着手する。言動、そして心身の一致が為されていることで発揮されるエネルギーの存在を感じる。「ももとせ」も、「景観や緑を取り入れた暮らしの良さを体感できる場所として、お庭のあるこの建物が魅力的だった」という点で、その延長線上にある。一貫性を感じないわけにはいかないが、それらは入念な準備と計画があって初めてできることなのだろうか。

「ももとせ」は、「あ、この建物が空いているんだ」という偶然の出会いから始まりました。管理しているのは知り合いの不動産屋だったから、「中を見せて」とお願いして。実際に内見してみたら、どうにか直せる状態だし、ここは残さなきゃ、と感じて。じゃあ、今、この建物を維持するために自分ができること、収益を上げられることはなんだろうかと考えて。料理を出す。お茶を出す。家具を売る。窓から見える景色を人がより意識できるように空間を仕立てる……。自分が興味を持っている範囲外のことはできないから、持てるものを総動員して、合わせ技で。ぎりぎりですよ。

「ももとせ」に生まれ変わる前の物件は、他の誰かにとってはただの空き家でしかなかったはず。そこにもう一度息を吹き込むことで、未来に託すべき「豊かな暮らし」を表現できる場が生まれるというビジョンを見出せたのは、沓澤さんの感性のなせる技なのだと思う。当たり前の話かもしれないが、生活を究めるとは、衣食住を究めること。「他人から見たら不必要と思われそうなものまで」興味を持った本なら何でも「乱読」するという習慣が身に付いたのも、終わりのない探究の賜物なのだろう。自らの好奇心を栄養としてそこかしこに根を広げていった感性が、自分の望む家という形で芽吹き、ひいては「ももとせ」という人の絶えない場までつくりあげてしまう。

ふと、ここ最近良く耳にする言葉がよぎる。「やりたいことを仕事にしよう」。沓澤さんの「自分で仕事を創る」という行為には、世の中のそうした風潮がもしかしたら軽んじているかもしれない確かな厚みがあった。僕自身、クリエイティブであることの途方もなさに、戸惑いを覚えている。

どんな人と仕事をしたいのか。恐る恐る聞いてみたところ、「熱量のある人。何かしら自分なりの哲学を持つ人」という回答がすぐに返ってきた。それはつまり、どう生きる人を指すのか。

人生の残り時間を考えているかどうかだと思っています。「やり切った!」と思えた方が気持ち良いじゃないですか。そのために、どうしたら最短で到達できるかを考える人がいいかな。父親は「いつかやろうはばかやろう」が口癖なんですよ。終わりを意識することで、自分が生きられる時間の中で、具体的にどうするか考え、実際に行動できるのだと思います。

自分の命を燃やし切る。そこにフォーカスする沓澤さんは、これから一棟貸しの別荘を県内各地につくりたい、と言う。その起点はもちろん「生活をつくることが好き」という一途な好奇心だ。

秋田県内は空き家が結構あります。その中で手を入れる価値があってかつ自然と一体化しているのは、昔の家が多い。そういった建物を県内のビルダーさんとリノベーションしていけば、置かれている庭とか植栽、環境を取り込んで人が安らげるような空間をずっとつくり続けられるなと。

ご自宅、「ももとせ」という場所、そして1時間以上に渡るインタビューを経て、この構想は、なんというか、まさに彼女そのものだ、と思えた。それを聞く側も素直にわくわくさせられていた。

生活と生業が不可分に交わる中で生み出されるクリエイティビティ。その過酷な存在条件に対する絶望と、しかしそれがこの秋田には確かに息づいているという小さな希望を胸に、「ももとせ」を後にしたのだった。

肩書きは?

最近はその問いの返答が一番困ります。無くても信頼してもらえる人になりたい。

自分が創造的になれる環境は?

ひとりで外を眺める、散歩、運転。

生業(仕事)と生活(暮らし)の距離は近い?

今の私にはそのふたつはほぼ同義です。

やりがい、手応えはどこから?

自分のしたことが誰かの気持ちに響いたと感じたとき。

沓澤 優子 / Yuko Kutsuzawa。横手市十文字町出身。千葉県に進学後、就職・結婚・出産を経て帰郷し、2004年にアシスト實務工房を設立。同年、横手市湯沢市をエリアとしたフリー・ペーパーを創刊する。地元企業の販促物などのデザイン、WEBサイト制作を業務に加え、2006年に住宅雑誌を創刊。2009年に誌名を「住まいの提案秋田」に変更し出版を続けている。2014年には湯沢市にある築120年の蔵と民家をリノベーションしてインテリアショップ兼用のカフェを開業。趣味は料理、特技は逆立ち。

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